ブルッヘ
ブリュージュ
Brugge(オランダ語)
Bruges(フランス語)
ブルッヘ市内
市旗市章
位置
ウェスト=フランデレン州におけるブルッヘの位置
位置
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座標 : .mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯51度13分 東経3度14分 / 北緯51.217度 東経3.233度 / 51.217; 3.233
ブルッヘ(オランダ語: Brugge, [?br???] ⇒発音例)(またはブリュージュ(フランス語: Bruges, [?b?y??] ⇒発音例)、ブルージュ(英語: Bruges, [?bru??] ⇒発音例))は、ベルギー北西部、フランデレン地域の都市で、ウェスト=フランデレン州の州都。ベルギーの代表的な観光都市の一つであり、2002年には、スペイン王国のサラマンカとともに欧州文化首都に選定された。 日本の百科事典や地名事典では「ブルッヘ」ないし「ブリュッヘ」が用いられることが多いが、観光業などの分野では「ブルージュ」や「ブリュージュ」も多く用いられている。なお、地名の由来は「橋」であり、市内に張り巡らされた運河に架かる無数の橋に因んでいる。 近隣の都市としては、約40キロ南東にヘント、90キロ南東にブリュッセル、85キロ東にアントウェルペンが位置している。フランス共和国のリールが約65キロ南に位置している。
概要ウェスト=フランデレン州庁舎
名称
地理
近隣都市
歴史
沿革
9世紀、初代フランドル伯のボードゥアン1世によって建てられた城塞が街の起源とされる。3代アルヌルフ1世
12世紀に大津波が、海から10km以上も離れたブルッヘを襲った。その時に残された大きな溝に運河を作り、フランドル伯フィリップ・ダルザスのもとでズウィン湾とブルッヘを結ぶ水路が整備され、町中に水路を張り巡らせ、船での交易に便利な港町を作った。ブルッヘは北海に出る玄関口として格好な場所となった。
イギリスや北欧と内陸を結ぶ交易は、13世紀になるとハンザ同盟の在外商館がおかれたほか、1277年にジェノヴァ商人が大西洋沿岸を経由してズウィン湾にまで訪れるようになり、金融・貿易の一大拠点として繁栄した。裕福になった市民は、自分たちの成功の象徴として、町の真ん中に高い塔である鐘楼を建てた。教会が社会を支配していた時代、時を告げる鐘楼は、教会や王の権威や権力が強いところでは市民が建てることはできなかったが、ブルッヘの市民は自分たちで市場の開始の時刻を告げる鐘楼を建てることで、その自立を表した。それは資本主義社会の最初の拠点であるとされる。
14世紀はフランス王の支配が過酷で、また王がフランドルを併合しようとしたことで、フランス・フランドル戦争